平成29年7月1日 全日本囲碁協会のHP、リニューアル&移転いたしました。
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会員名簿

2014年07月31日 22:40

 現在、正式に加入を表明している
 正会員、賛助会員、賛同会員の名簿です。
 順不同。

 会員名簿」はこちらをご覧ください



今後を決める正会員総会

2014年07月14日 20:28

 これまでは理事会が主となって全日本囲碁協会の進むべき方向を考えてきました。しかしこれからは、全会員――とくに正会員全員の協議によって方向の指針を決めていかなければなりません。その時機が来ています。

 正会員はこの法人の中核です。それぞれ個別の問題を抱えているにちがいありませんが、そのなかで全碁協一体となって解決できる問題も少なくないでしょう。個別の問題の共通項をあぶり出し、解決のための努力目標を定めるには会員総会が最初の大きな一歩となるにちがいありません。

 まず、情報交換。機関紙の第一号が、共通項設定に多少とも役立つものと思いますし、公益法人取得の目標にアプローチするための考える材料ともなるでしょう。

 正会員への勧誘はこれからが本番です。理事会が努力するためでなく、正会員の方々もできるだけ輪を広げていくことを考えてみてください。

 それらのことも、正会員総会での大きな議題となるものと思われます。

     ◇

 なお、公益法人取得のためには、定款の一部を変更しなければならないそうです。それに関しては総会で改めて説明されることになりますが、他にも会員と社員との違いなど、法律上のややこしいことがさまざまです。これも、一歩一歩解決していかなければならない問題でしょう。

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理事長 菊池康郎

(平成26年7月14日発行「日本の碁」第2号より)




囲碁史散歩(1)

2014年07月14日 12:52

囲碁史散歩(1)

囲碁史会会員 光井一矢

初代本因坊(一)
 これから本因坊算砂のことについて書こうと思う。算砂といえば、初代本因坊、江戸時代囲碁家元の元祖といったイメージがあるだろう。だがそれ以外のことはどうだろうか。どのような人物で、どのようなことをしたのだろうか。

 まず、本因坊とは何か、今回は本因坊発祥の地である寂光寺について述べる。寂光寺は京都十六本山のひとつで、日蓮大聖人滅後二九六年後の天正六年(一五七八)に久遠院日淵上人により京都近衛町に創建されたが、天正十八年には豊臣秀吉による聚楽第建築のため、寺町通竹屋町(現在の久遠院前町)に移り、境内に久成坊・実教院・実成坊・詮量院・本成坊・玄立坊・本因坊の七塔頭を建て、布教活動をおこなっていた。

 宝永五年(一七〇八)には京都の三大大火のひとつ「宝永の大火」により寂光寺は焼失。これにより現在の東山仁王門西入に移転した。

 本因坊とは寂光寺の塔頭の一つだった。その本因坊に住んでいたのが本行院日海であり、後の本因坊算砂である。現代ある本因坊戦はこの本因坊から来ている。

 算砂は永禄二年(一五五九)五月、京都長者町で生まれた。本姓は加納、幼名は與三郎といった。

 與三郎は八歳のとき、後に寂光寺の開祖となった久遠院日淵の門に入った(日蓮宗)。翌年剃髪して本行院日海と名乗った。

 この日淵と日海とは叔父甥の関係であると『本山寂光寺誌』に記されている。実はこの日淵が初代本因坊ではないかと現在では考えられている。といっても囲碁とは関係がない。

 算砂には仙也という囲碁の師がいる。この仙也については堺の住人であること、碁がかなり打てる息子仙角がいたということ以外、生没年などもわかっていない。現在では棋譜ものこっていない。仙也の名は豊臣秀吉が碁打衆に授けた朱印状に出てくる。

 天正十六年(一五八八)、秀吉は碁打ちを集めて囲碁大会を開き、算砂が優勝した。そのとき朱印状をあたえたのである。

 そこには、他のものはすべて本因坊に定先以下を命ずるというものだった。しかし、仙也だけは本因坊の師ということで互先とするとも書かれている。

 これは算砂の伝説の一つであるが信憑性は低い。この他にも本能寺三コウ伝説があるが、紙数の関係で次回以降に譲る。

 碁打ちとしての算砂は知られているが、算砂は僧侶である。僧侶としての算砂はとうであったか。

 算砂は寂光寺二世住職だが、いつごろ日淵から譲られたかははっきりしない。あるいは天正十八年(一五九〇)、寂光寺を再建したときかとも思われる。

 寂光寺の史料には、日海が文禄元年(一五九二)権大僧都となり、慶長十七年(一六一二)法印に叙せられたとある。僧侶として位入臣をきわめた。

 寂光寺の所蔵品には算砂に関するものがあり、肖像画をはじめ、碁盤や額がある。これらは寂光寺を訪れ、寺の方に声をかければ拝見させていただくことができる。

 また、寂光寺本堂脇には墓地があり、そこには本因坊算砂をはじめ歴代本因坊の墓が並んでいる。

 今回は第一回ということで算砂の経歴や寂光寺について述べさせていただいたが、これから資料に基づき、算砂の生きた時代や人物たちにも触れていこうと思う。

京都・寂光寺

(「日本の碁」第2号掲載/平成26年7月14日発行)

囲碁の医学的効用(2)

2014年07月14日 12:51

囲碁の医学的効用(2)

東京都立神経病院 飯塚あい

 前回、囲碁が認知症予防や高齢者の健康増進に役立つという、『囲碁療法』の可能性についてお話ししました。今回、その取り組みの一環として企画したイベントについてご報告させていただきます。

 二〇一四年三月十五日、東京都板橋区にある東京都健康長寿医療センターという病院で、初めての囲碁と医療のコラボレーションイベントである『健康長寿囲碁まつり」を開催しました。このイベントは、病院の患者さんとそのご家族、地域住民、病院スタッフを対象に、病気を抱えながら生きる人、今は元気でも将来に不安のある人が、新しい生きがいを持ち、自分らしい人生を歩むためのきっかけを作りたいという思いから生まれました。

 内谷は元アマチュア本因坊である村上深さん、元院生の千葉聡子さんによる入門教室、大橋拓文六段による指導碁、囲碁と医療に関するポスター展示、故木谷実九段の息子である木谷正道さんによる音楽ライブなとで、初めての試みにも関わらず来場者一〇五名、スタッフを合わせ一二〇名の方にご参加いただき、大変活気溢れるイベントとなりました。

 参加者の方からたくさんの素晴らしい感想をいただきました。現在入院中の患者さんが会場に足を運んで下さり、「毎日病気で苦しんでいましたが、久しぶりに碁を打って楽しい時間を過ごすことができました」という感想もいただきました。また、「物忘れに不安がある、けれどどうすれば良いかわからない」という高齢の方が、囲碁という新しいゲームを始めたことで「まだ新しいことを覚えて普段使わないような脳を使うことができるのだと思って安心しました」と言ってくださり、とて印象的でした。九十一歳の女性は「もう打つことはないと思っていましたが、久しぶりに打ってとても楽しくて、また生きがいができました」と、とても笑顔でした。参加者の方々が夢中で囲碁を打つ姿を見て、馴染みのある病院で行った甲斐があったと実感させられました。

   ◇

 話は変わりますが、私が現在勤めている病院でこんなエピソードがありました。全身の筋力が進行性に低下する難治性の病気であり、根本的な治療法がなく、もう治らないという告知を受け、ひどく落ちこんでいる患者さんがいました。話を聞くと、囲碁五段であり、発症前に碁会所に通っていたとのことです。ある日、病室で対局をすることとなりました。腕の筋力が低下し、食事を摂るにも精一杯であるにも関わらず、十九路盤一局を一生懸命腕を伸ばして打ちきりました。終局時、彼は「夢中になって疲れるのを忘れてしまいました。楽しかったです」その顔は、笑顔でした。

   ◇

 健康長寿囲碁まつりでも、病棟で対局した時も、患者さんはみな笑顔でした。このように、囲碁には人を夢中にさせ、笑顔を生むパワーがあると考えます。囲碁は世代を問わず最高の生きがいとなり、身心を健康にするのに最適なゲームであると改めて実感させられました。笑顔になるとは、人生を楽しむことです。囲碁で人々の笑顔が増えることを願って、今後も活動を続けていきたいと思います。次回、『第二回健康長寿囲碁まつり』は本年一〇月二五日に行います。皆様にも是非、足を運んでいただけたら幸いです。

(「日本の碁」第2号掲載/平成26年7月14日発行)




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